寺院の沿革

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寶珠山 壽德寺の来歴

壽德寺の来歴

仙台城下町のひとつで、二代藩主忠宗が取り立てた半子衆と呼ばれる旗本足軽が居住したことに由来するという、旧半子町(現青葉区国見一〜二丁目・子平町ほか)。町域北西端、旧芋沢村へと通じる街道沿いには、松音寺の末寺で、伊達輝宗の牌寺として三六石の寺禄を受けていたという、寶珠山 壽德寺があります。

三重層塔

三重層塔

地蔵菩薩像

地蔵菩薩像

地蔵菩薩像

地蔵菩薩像

寺標と山門

寺標と山門

天正十三年(1585)伊達輝宗が宮森城中で二本松城主畠山義継に捕らえられ、阿武隈川畔の高田原に於いて不慮の死を遂げた際、政宗は旧信夫郡佐原村(現福島市佐原)の壽德寺で荼毘に付し、後に旧置賜郡夏刈村(現高畠町夏茂)の資福寺に移葬、虎哉和尚を導師として壽德寺の慧繁和尚が仏事を行いました。

山門と本堂

山門と本堂

案内板

案内板

扁額

扁額

本堂

本堂

天正十九年(1591)政宗の岩出山移封に伴って壽德寺も移転、佐原村の同寺は廃寺となり、後に政宗の仙台開府に当たって岩出山から現在地に移りました。別名円門と呼ばれる壽德寺の山門は慶応二年(1866)建立の切妻造の薬医門で仙台市登録文化財。本尊の宝冠釈迦如来坐像は仙台市指定文化財となっています。

山門

山門

扁額

扁額

山門の屋根瓦

山門の屋根瓦

市登録文化財 寿徳寺山門

市登録文化財 寿徳寺山門

壽徳寺庭園について

「寶珠山壽徳寺」(ほうじゅさんじゅとくじ)は伊達政宗が父・伊達輝宗を開基として創建した寺院です。
江戸時代前夜、1601年に政宗が岩出山から仙台城へと移った際にともに移転し今日に至ります。
江戸時代中期に作庭された池泉回遊式庭園が“宮城県の古庭園”に指定されているほか、御本尊の釈迦如来坐像が仙台市指定文化財、江戸時代より残る薬医門形式(円窓風が特徴的)の山門が仙台市登録文化財となっています。
江戸時代中期に作庭された池泉回遊式庭園が“宮城県の古庭園”に指定されているほか、御本尊の釈迦如来坐像が仙台市指定文化財、江戸時代より残る薬医門形式(円窓風が特徴的)の山門が仙台市登録文化財となっています。

仙台市内には『良覚院跡庭園』や『輪王寺庭園』があり、寶珠山壽德寺は『輪王寺庭園』のある北山五山からも比較的近く、周囲には伊達政宗の葬儀が行われ、“伊達政宗灰塚”の残る大願寺など多くの寺院がある地域です。

山門以外の伽藍は比較的新しく、昭和の中頃の火災以降、現在の本堂や庫裏などの建造物は昭和59年に再建されたものです。
庭園も江戸時代中期の作庭ですが、丁寧に手入れしておりますので、どこを切り取って見てもよい見栄えとなっております。

仙台の中心部からは少し外れておりますが、敷地内では視界に現代風のマンションや家屋が入ってこないので、落ち着いた雰囲気を存分に感じられます。

庭園について01
庭園について02
庭園について03
庭園について04
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